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わたしのまいにち

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コロナ禍の中、祖父が亡くなりました

ろうそくの火


私の祖父は99歳。

大正、昭和、平成、令和、4つの時代を生きてきました。

祖父が20代のころには戦争がはじまり、銃撃を足に受け、負傷しながらも帰国。

その後は貧乏だったので会社勤めのかたわら、農業もして、働きどうしの人生でした。

 

ここ数年は認知症になり、頭の中は1歳児。

NHKのEテレを見て、デイサービスには「行ってきまぁす」と出かけ、帰ってきたら「たらいまぁ」。

時々正気に戻るけれど、謎の行動をすることも多かったです。

 

胃腸が丈夫だったので、亡くなる前日まで、ご飯をもりもり食べていました。

耳は全然聞こえないけれど、元気いっぱい。

まだまだ長生きしそうだねぇなんて、家族で話していたんです。

 

 

死は突然やってくる。

 

 

長生きして、大往生で、お祝いだって言われるけれど、やっぱり悲しいです。

もっと話をすればよかった。

もっと一緒にご飯を食べればよかった。

乗りたいと言っていた新幹線に乗せてあげればよかった。

富士山にも連れて行ってあげればよかった。

 

後悔しても祖父はもうこの世にはいない。

 

せめて祖父の思い出を書き綴って残しておきたいと思い、この記事を書くことにしました。

 

 

気付いたときからずーっとじいちゃん

初孫の私が生まれたのは、祖父が50代のころ。

物心ついたときには、しわだらけで、真っ黒に日焼けして、頭はツルツル。

今、黒い縁取りの額に入った遺影のじいちゃんと同じ姿でした。

昔の人は、早く老けてたんでしょうか。

 

よく働いて、どんぶりご飯をお替りしながらモリモリ食べていたので、身体は大きく筋肉質でがっちりした体型。

頑固者で父にはとても厳しい人だったそうです。

 

孫の私は、祖父が怒っているところを見たことはありません。

お盆とお正月、田植えの時と、稲刈りの時。

年に数回しか会えない祖父は、いつも元気で優しかった。

 

丸い顔にメガネをかけて、サザエさんに出てくる波平さんみたいな頭。

 

あるとき、じいちゃんが座椅子に座って昼寝をしていました。

ウツラウツラと船をこいで、ツルツルの頭が前後にゆらゆら。

当時、1,2歳だった妹が、100円玉をじいちゃんの頭に乗せては、ツルツル滑って落ちてくるのが面白いらしく、大爆笑してました。

 

あのころ祖父はまだ60代だったと思うけど、すでに100円玉が滑り落ちるほどツルツルだったな(笑)

90過ぎても元気でよく働いてた

戦争の銃撃で、弾が貫通してしまったので、足は悪かったのですが、ずーっと元気でよく働いていました。

 

農家なので、トラクターも軽トラックも運転しないと仕事になりません。

遠出したりはしませんが、たい肥をのせ、藁をのせ、自宅から畑まで90過ぎても軽トラックを運転。

さすがに心配で、免許を返納するよう何とか説得して、老人カートに乗ってくれるようになりました。

 

ところが、歩くほどの速度しか出ない老人カートを乗り回して、家族が気づかぬうちに、どんどん出かけていくんです。

炎天下のなか、10キロ以上離れたクリーンセンターまでゴミを運んだ時は、危うく熱中症になるところだったそうです。

 

そのころ、がっちり体型だったじいちゃんが、なんだか小さくなってきたなと感じました。

耳が聞こえなくなっても同級生とおしゃべり

80歳を過ぎるとだんだん耳が遠くなってきてました。

テレビの音量は60ぐらいに設定してあって、家の前の畑からでも聞こえるほどの大きさ。

隣近所が遠い田舎なので苦情は出ません。

 

補聴器が大嫌いで、ほとんど使わず。

90代半ばを過ぎると補聴器を使っても聞こえなくなっているようでした。

耳が聞こえなくなると、認知症がどんどん加速したような気がします。

 

自宅から少し離れたところに、同級生が住んでいました。

老人カートに乗って、たまに遊びに来るんですが、2人とも耳がほとんど聞こえません。

同級生が遊びに来ると、ぼんやりしていた頭がシャキッとするようで、2人で何事かしゃべっているんだけど、お互い聞こえないのです。

 

1,2時間おしゃべりしていたけど、それぞれ全然別のことをしゃべっていました。

その同級生は、だいぶ前に亡くなりました。

今頃、天国で再会して、また適当なおしゃべりしてるんでしょうか。

おむつはしてるけど、始末は自分でする

認知症でしたが、トイレに行って用を足すということは最後までできました。

ウォシュレットも使って、ちゃんときれいにしてましたよ。

ただ、動きがどうしても遅くなっているので、間に合わないこともあります。

それで、おむつは履いていました。

自分で。

トイレに行くのが間に合わなくて、汚してしまったおむつは、ちゃんと自分で脱いで片づけます。

 

だけど、なんだか汚れてないところはもったいないな。

と思ったのかはわかりませんが、汚れたところだけを丁寧に切り取って、穴あきおむつを履いていたことがあります。

 

うん、意味ないね。

電気のひもは取れなくなっちゃうから指に巻き付けておこう

天井から電気のひもがぶら下がっています。

壁のスイッチもあるんだけど、寝る前に電気を消すためにベッドから立ち上がるのが大変。

だから、じいちゃんのベッドから、寝たまま手を伸ばせば届くような長さのひもです。

 

細くて軽いひも。

身体を動かしにくくなってきたじいちゃんには、なかなかつかむことができません。

するりと指からすり抜けて、ぶらぶら動いて、つかめなくなっちゃう。

 

それなら、もうずっとひもを握っていたほうが便利だな。

と思ったのかはわかりませんが、人差し指の先にグルグルと巻き付けてました。

 

ぐーぐーいびきをかいて寝ているけど、人差し指だけは立てた状態。

じいちゃんが動くたび、電気のスイッチがチカチカ。

 

夜に見るとなかなかシュール。

93歳で肺の手術を受ける

ヘビースモーカーだったじいちゃんは、肺が悪くなってた。

93歳で一度肺の手術をしています。

その歳でも手術をしたのは、肺以外は問題なくて、体力もあってまだまだ長生きするよねってお医者さんの判断です。

 

肺の手術後に、たばこが吸いたいからお家へ帰りたいとごねた。

さすがに手術後は控えるだろうと思っていたけど、長年続けた習慣を変えるのは難しいんだろうね。

退院後もしばらくは隠れて吸っていたけれど、呼吸器をつけるようになったらやめました。

酸素濃度が低下してくると、どんどんぼんやりして寝ていることが多くなってきます。

補聴器も嫌いだったけど、呼吸器も嫌いで、気づくと外してしまってる。

 

酸素を付けてないとぼーっとしちゃうよ。

というと、わかったわかったと言ってその時は呼吸器をつけるんだけど、しばらくしたら外してぼーっとしてた。

3年前ばあちゃんが先立つ

ばあちゃんは3年前に亡くなりました。

脳梗塞で倒れて、7年闘病。

倒れてからは一度も自力で立つことができませんでした。

 

じいちゃんとばあちゃんは、それまで、そんなに仲睦まじいという夫婦ではなかった。

別々に行動していることが多かったし、2人で会話していることも少なかったです。

 

だけど、ばあちゃんが倒れてから、じいちゃんは、必死に治療法を探してました。

ばあちゃんを連れて新幹線に乗って、東京へ行きたい。

ばあちゃんを連れて富士山に登りたい。

 

車いすで立ち上がることもできないばあちゃんと、認知症がどんどん進んでるじいちゃんには、もう無理だと私たちは本気で取り合わなかった。

 

ばあちゃんが亡くなって、朝晩仏壇に向かうのがじいちゃんの日課になった。

ろうそくを立て、ライターで火をつける。

お線香をぴっちり半分に折って、火をつけ、ぴっちりまっすぐ並べる。

肺が弱って声にならない声で、「なんなーん」と祈る。

几帳面なじいちゃんの日課は、じいちゃんが亡くなる前日まで続きました。

 

コロナ禍のなか、じいちゃんの葬儀

じいちゃんは99歳。

この地区の同級生の中で最後の1人でした。

田舎なので、近くに同級生がいっぱいいたんです。

仲良しで、よくご飯を食べたり、集まって話をしていたそうです。

 

最後ってことは、葬儀に参列してくれる同級生は誰もいないということ。

コロナの心配もあるので、県外にいる親せきや、私の妹も参加しませんでした。

 

葬儀屋さんが、動かなくなったじいちゃんの髪を洗い、顔を洗い、髭を剃り、鼻毛まできれいにして、保湿クリームをたっぷりつけてくれました。

 

真っ黒に日焼けして、シワシワで、耳毛も鼻毛もボーボーで、埃まみれでよく働いていたじいちゃん。

棺の中のじいちゃんは、ツヤツヤで、色白で、今までで一番きれいな顔をしています。

だけど、じいちゃんはもう動かない。

 

胡蝶蘭に、カサブランカ、トルコ桔梗やカーネーション。

色とりどりの美しい花に囲まれて、いつもの帽子と、メガネと、時計をはめて、カッコいい服を着て。

じいちゃん史上一、キレイなじいちゃんは、家族と近所の人たちに見送られて、ひっそりと旅立っていきました。

人の致死率は100%

じいちゃんは、コロナとはまったく関係ありません。

ろうそくがすべて燃えて、ゆっくりと火が小さくなってやがて消える。

99歳まで生きたじいちゃんは、そうやって人生を終えました。

 

人の致死率は100%。

99.999%にさえなることはありません。

遅かれ早かれ、自分の番がやってくる。

 

天国や、極楽浄土があるとするならば、いつかまた先立った人たちに会えるかもしれない。

その時、自分は精一杯生きたと胸を張って言えるようにしたい。

思い出をたくさん作って、やりたいことをやって、おもしろおかしいお土産話をたくさん持って会いに行きたいと思っています。

 

 

何ともまとまりのない話になってしまいましたが、コロナでお葬式も簡素化、その後の法要もしないことになりました。

祖父が生きてきた99年を思い、心の中で弔いたいと思います。